2017・1・28
いよいよメインディッシュ。
上身の炙り。
活きのいいお魚は身が反りますので
串を打ってもよかったのですが、
ま、ナチュールナチュール。
皮面から「北ガスのグリル」で炙ります。
活きのいいお魚は身が反りますので
両端が当らないように丁寧にプロテクト。
上身のいいところこそ
こんな、シンプルな調理で美味しさは際立つのです。
ムニエル
椀とともに
どうしてもこれをやりたかった。
東京の調理師学校時代
あまりの自分の未熟に逃げ出してしまった研修先のレストランのシェフが
口癖のように
「ムニエルは完成された調理法なんだ。ムニエルは完成された調理法なんだ。」と
仰ってました。
全くその通りでございます。
①ファリンヌ
たっぷりつけて、よく払う。
②僕はオリーブオイル(ピュア)にバターです。
バターが完全に溶けて細かい泡(これがムニエルの成否の分かれ目です)を
見極めて、はたを皮面から落とします。
③炙りでご覧頂いたように、活きのいいお魚は皮が反ります。
ムニエルの場合は、手で押さえればいいのです。
④皮のSOLIが収まったら、すかさずアロゼです。
最大のポイントはブールの泡が細かく持続すること。
火加減と不断のキュイエールのアロゼがそれを可能にします。
つまり、身にはブールの泡で包み込む形でしか火を入れません。
フレンチでもっとも「天麩羅」に近い調理法と言えましょう。
皮はかりりと、身にはふんわりと火が入る訳です。
先程の炙りとは、全く異なる美味しさです。
⑤ノワゼットのブールにレモンをぎゅーっと絞ります。
これがソースです。
トマトも、パセリも、ケイパーも、自宅にはありませんでした^_^;
はい完成!
この筋肉質♡
フランスのお魚みたいにむっちむちのしゃっこしゃこ♡♡
⑥幸せな人
しょっちゅう家の鍵失くしたり、家ん中で転んだりしないでねm(__)m
2017・1・27
その日いらしたご常連様に右下のかしら(梨割り半分)を
差し上げました。
翌日のお昼。
T シェフは「ご旅行があるなら冷凍した方が・・・」と仰いましたが、
どうしても冷凍しないで食べたい!
結局、一度の昼食で
母と全部食べたのですが、長いので
2日に分けてお話申し上げます。
その1 かしら
①かまを外してかま焼きに。
②一夜干しとはいえ、かなりフレッシュに近く
ハタだと、やはりどうしても鍋が欲しくて、
東光で白菜と迷ったのですが・・・今は生わかめの真っ最中。
生わかめとの椀仕立てに決めました。
先ずは椀の支度から。
③かしらを水と酒で炊きます。わかめは芯と葉に分け、
葉の上に切り身を載せて、少しでもわかめの香りを
身に移します。
④まずかしらだけを炊いて丁寧にエキュメします。
しばらくすると灰汁が出なくなり、最後には
淡い金色の出汁が引けていることが
見て取れます。
⑤そしたら、わかめの軸を入れます。
まあ、出汁というより早春の磯の香りを
出汁に載せる意味です。
とろ火のまま、かま焼きの仕事にかかります・・・
⑥ったって、もうシェフが軽い一夜干しにして下さってあるので、
「家庭用『北ガス』魚グリル」で炙るだけ。
火に近いところが焦げやすいので
丁寧にプロテクトします。
身の方から一番弱い火でじっくりと炙って
8割方分厚い身に火を通して、
皮目に返して「皮がこんがりぱりっと焼けるあいだに残りの1割に火が入る」ような火。
皮目に返したら、気持ち強める加減でしょうか?
う~~~ん
旭化成のMR時代に年に一度行ってた河豚屋の
¥40,000のコースの天然トラフグの「まるでケンタのような唐揚げ」を
思い出しましたね。
この筋肉質の身ですよ♡
トラフグもはたも高速で泳ぎ回る魚ではないのですが、
ぎゅっと噛み締めて、じゅわっと旨みが出て来る
所謂「内地の筋肉質の白身魚」の最高峰ですよね。
鱈も、鍋にも出来ますし
かまや頬肉も美味しいですが、
比較的崩れやすいほろほろの身で、極めて淡白。
これらの「ややもすると鶏肉のような食感、歯応え」はございません。
でも、代わりにタチとタラコというかけがえのない北海の宝石を
持っていますからね♡
母子相伝の猫跨ぎDNA。
⑦椀の仕事に戻ります。
このくらいわかめの軸も煮えたら、尾の上身のぶつを投入します。
ひと煮立ちしたら
わかめの葉を投入します。
すぐにわかめが、さあ~っと真っ青になります。
出来上がりです。
ゼラチン質も、骨の周りの肉も
猫跨ぎに頂きます。
2017・1・26
調理師学校の大先輩で同い年の
札幌を代表するフレンチレストランのオーナーシェフが
お見舞いに来て下さいました。
腕前もキャリアも
そもそも、店のお料理に対する取り組みが
もちろん全く月とすっぽんですので、
僕が友達呼ばわりすることなんて有り得ないんですが、
いつも、他のお客様のいない時間帯(まあほとんどいつでもいい訳ですが)に
お越し頂いて、
お客様には聞かせられない
「料理人同士の思い」を「交換」し合える間柄として
お付き合い頂いております。
SOLI をやっていて、数少ない
ほんとうに心救われるひとときです。
2017・1・25
観てもいないので言う資格無いのですが、
例の
登場人物が男女突然入れ替わったり、端から余命半年だったり、明日昨日のきみだ、
だとか聞くと
実話だろうが作り話だろうが、
「わざわざそんな非日常を持ち出してまで飽和閉塞社会に話を売りたいのか?」と、
それだけでその映画が観たくなくなります。
まるで「W豚骨濃厚魚介スープ」だわ。
現実離れした虚像世界で遊んで来たから
現実離れした刺激しかいいと思えない。
まして
今観終えた女かなんかが、軽っ調子に
「生まれて今までで一番泣きました!」なんて感想述べてるCMなど見せられると尚。
こういう女が
「生まれて今までで一番美味しかったです!」などと言うのさ。
インテンショナルインスタント飽和社会の中で育まれた感性の貧困だわ。
例えば小津映画のように
核家族社会だったり
この本のように
戦争だったり
とても深刻な現実世界のテーマを
淡々と織りなされる家族の日常のなかに描いた作品が好きです。